大学の授業で泥だんごづくり

この5年くらい、ある大学にて保育者養成の学科にて1年生の必修の授業を教えています。タイトルは、「子どもと遊び」。国の指針にも定められている「遊びを通じた育ち」に携わる職業を目指す人が、遊ぶとどんなことを感じ、どんな風に心が動くのかを、ただのお題目ではなく、自らの心と体を使って体感することの大切さを学ぶ、唯一の専門演習になっている授業です。

今日は、みんなで泥だんごを作ってみることにしました。授業は40人なのですが、時には和気あいあいと、時には黙々と泥だんごづくりは進んでいきました。きれいなだんごができれば、それはうれしいのですが、それよりも何が大事かというと、「作っているそばに誰かがいる」ということだったのかなという思いが沸き上がってきました。

向き合うのではなく、共に傍らにいる時間が生まれるということ。そこで目も合わさず、たわいもない話をしながらでも、誰かのそばにいられるということ。好きな食べ物なあに?とか、遠距離恋愛のこととか、下を向いて自分の泥を見ながら話す時間の大切さを学生は体感していたのではないかと思うのです。 そして、そういう時間の大切さを感じている人が、保育の現場に入った時に、さりげなく子どもの傍らにいられるんだよね、きっと。現場に入るようになってから、そんなことを意識してくれる学生が出てきてくれるだろうか。

途中で割れてしまって、もう団子をつくるのをやめて、おしゃべりしてた子もいたけど、それでもいいと思う。壊れてもう続けたくない気持ちや悔しい気持ちだって、同じく感じている子と共有できるのは必要なこと。 子どもだって、今日がダメなら明日。それでもダメなら明後日。ふとした瞬間が訪れた1年後でもいい。

きっと、お金がからむワークショップとかになると、「成功させなきゃいけない」という命題が出てきて、スタッフが焦りながら完成まで持っていってしまうこともあるでしょう。でも、そんな風に完成してしまった泥だんごからは見えないことがある、ということを知っている保育士になってもらえたらうれしい。

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