連続記事②TOKYO PLAY 代表理事 嶋村インタビュー


2018年度より開始した渋谷どこでも運動場プロジェクトも今年で5年目を迎えました。途中、世界を襲ったコロナ禍により取り組みを控える時期が続きましたが、今春から徐々に開催も増え始め、またこれまで溜まっていたエネルギーが噴き出したかのように、実施してみたいという相談も増えてきました。
このタイミングで、改めて渋谷どこでも運動場プロジェクトの趣旨を広くお伝えするため、4回に渡り記事を公開していくことにしました。

その他の記事
①渋谷区 長谷部区長 × TOKYO PLAY 嶋村仁志 対談
③実施グループインタビュー
④海外(イギリス)の先進事例紹介

第2回は、プロジェクトの企画・運営を担当する一般社団法人TOKYO PLAY代表理事 嶋村に、プロジェクト立ち上げの経緯と、プロジェクトを推進する際に大事にしているポイントなどを聞きました。

※写真は全てTOKYO PLAYによるものです。

− 改めてTOKYO PLAYについて教えてください。

嶋村
「Play Friendly Tokyo 〜子どもの遊びにやさしい東京を〜」をビジョンに掲げ、「遊ぶ」をつくる、「遊ぶ」をまなぶ、「遊ぶ」でつながる、「遊ぶ」を伝える、の4つを軸にして、様々な立場の人と一緒に考え、つながり、情報を共有し、実際に行動を起こすためのきっかけづくりを行なっています。
2007年にLondon Playの事務局長のウテ・ナヴィディ氏に出会ったことが団体立ち上げのきっかけです。当時、私はIPA(International Play Association・子どもの遊ぶ権利のための国際協会)の評議員を務めていて、イギリスで開かれた評議員会でウテ氏に会った際に、London Playという団体を知りました。
大都市でもすべての子どもが遊べるように、遊びに関する施設だけでなく、市民や自治体、企業も巻き込んで、さまざまなアクションが生まれるきっかけをつくるという役割をもった組織は、当時の日本にはありませんでした。ウテさんに「London Playのような組織は東京でも必要だと思いますか」と尋ねたところ、「ロンドンみたいな大都市で必要なのだから、東京にも必要なのは当り前じゃない」と言われたので、いつか東京でTOKYO PLAYを設立することを誓って日本に戻ってきました。

日本ではLondon Playのような団体がなかったので、いきなりTOKYO PLAYを立ち上げるのではなく、「子どもの遊びと大人の役割研究会」という団体を作って、脳科学から芸術まで、子どもの遊びに関わる分野の第一人者を招いて公開学習会を隔月で開催しながら、各方面の知見を学ぶとともに賛同者を集めていきました。そして2010年に研究会を発展的に解消し、TOKYO PLAYを設立しました。
TOKYO PLAYを設立してからすぐに、東京都から「次世代育成推進東京都行動計画(後期)の評価に係る事業」を受託し、東京都内に住む小学校4年生から高校生まで279名にヒアリングを行い、報告書にまとめました。その他には、イギリスの視察ツアーの企画・運営、遊ぶことの大切さを啓発するために実施されていた「Playday」をモデルにした「とうきょうプレイデー」というキャンペーンを立ち上げ、事務局を担ったり、子どもの遊びに関する研修を展開したりして、主に啓発・啓蒙活動や人材育成を中心に活動をしていました。
その後、縁がつながり、ある企業から寄付をいただけることになり、その寄付を原資に2016年から、道路や広場などまちの中の身近な空間を活用して、その地域の人たちが主体となって遊びの機会をつくることを応援する「とうきょうご近所みちあそびプロジェクト」をスタートしました。

− 渋谷どこでも運動場プロジェクトは、とうきょうご近所みちあそびプロジェクトをモデルにして企画されていますが、どのような取り組みなのでしょうか。

嶋村
とうきょうご近所みちあそびプロジェクトは、地域の人たちが家のすぐそばの身近な道路、その中でも交通量が少ない道路を歩行者天国にして、遊ぶことを通じて子どもから大人までが、楽しみながら多世代でつながることができる機会づくりを応援するプロジェクトです。車だけの場所のように見えた道路が自分たちにとっての大切な暮らしの場所になっていく、そして自分たちのまちに愛着が湧いていく、そんなことにもつながると考えています。

とうきょうご近所みちあそびプロジェクトにもモデルがあって、イギリスの「プレイストリート」という取り組みです。プレイストリートは、ふつうのお母さんたちが「昔は、遠くの公園にいくのではなく、家のすぐそばで、『ごはんよ〜』と言えば子どもが帰ってこられるような距離で子どもが遊べていたから、子育てはもっと楽だったよね」という思いで、「イベントをしなくても道路を止めることができないだろうか」と動き出しところから、市民活動として圧倒的な広がりを見せ、今ではイギリス中1,000カ所を超える場所で、それぞれの地域の人たちがプレイストリートを開いています。行政の予算が限られる中、公共施設の建て替えるのではなく、身近な公共空間を活用してコミュニティが変わっていくということ、また、子どもの肥満や治安の問題などがプレイストリートを推進することで改善されていくことは、行政にとっても大きなプラスになると思います。
日本でも、子どもにとって家のすぐそばの空間は、地域の人たちと出会う社交の場であったり、家以外の自分の身の回りの世界を知る最初のまなびの場所であったりして、とても大切なのですが、大人同士がつながっていないために、誰の場所でもなくなってしまっています。そのため、子どもがまちの中でたくさんの人と知り合り、遊ぶことを通してたくさんのことを学び育っていく機会もなくなってきています。それが、子育てのしづらさにもつながっているのではないかと思います。
そのような現代において、例えば1ヶ月に1度でもいいので身近な道路を数時間歩行者天国にして、「みんなのみち」として地域に開かれた場所をつくることで、大人同士、子どもと大人、子どもでも近所に住んでいる子同士が出会うきっかけが生まれ、それが自分たちの住むまちの環境を変えていくことにつながると考えています。

− 渋谷どこでも運動場プロジェクトは、とうきょうご近所みちあそびプロジェクトに関する新聞記事を見た渋谷区のスポーツ振興課の担当者からの相談からスタートしました。モデルとなったのは「みちあそび」のプロジェクトで、TOKYO PLAYも「子どもの遊び」をテーマに活動する団体ですが、「健康・スポーツ」の分野で相談がきたときに、自分たちの活動テーマとの関係についてどう考えましたか。

嶋村
「スポーツ」というと人数やルールがしっかり決まっている競技を想像してしまい、なかなか一歩を踏み出しにくい人たちもいると思います。渋谷区は基本構想の「健康・スポーツ」の分野で「思わず身体を動かしたくなる街へ。」というビジョンを掲げていると聞き、遊ぶということが「思わず身体を動かしたくなる」ことにつながるのではないかと考えました。また、人は競技場や体育館だけで体を動かすわけではないんですよね。そこで、家のそばや、まちの空いているスペースを遊べる場所にしていこうという「みちあそび」の考え方も、「渋谷区自身を「15平方キロメートルの運動場」と捉える」という考え方につながっていくと思いました。ちなみに、「どこでも運動場」というプロジェクト名は、ドラえもんの「どこでもドア」がヒントになっていますが、区内の様々な場所が体を動かせる場所になるようにという意味を込めています。

− 渋谷どこでも運動場プロジェクトを推進する上で大切にしているポイントを教えてください。

嶋村
大切にしているポイントはいくつもありますが、一つは「何をやるかはそこにいる人が選ぶ」ということです。これには二つの視点があって、一つはどこでも運動場を開く主体はTOKYO PLAYではなく区民や在勤・在学の方々だということです。だからこそ主体となる方々がどんなことを実現したいのかをしっかり聞いて、このプロジェクトでそれがどのように実現できるのかを一緒に考えていくようにしています。もう一つは、イベント当日もそこにきた人が何をするかを自分で決められるようにしているということです。決められたプログラムに参加するという形態では、「思わず体を動かす」という状況は生まれづらいんですよね。だから、場所と道具を用意して、あとはそこに参加した人が自分で過ごし方を決められるようにしてもらっています。

そのためにも、どこでも運動場に取り組む条件として、参加費無料、申込制・定員制にしないということを決めています。この条件には、偶然の出会いの機会をできるだけ損なわないようにしたいという意味もあります。偶然にご近所の人が通りがかっても、その場で無条件に参加できることを大切にしたいと考えています。
他には、なるべくお客様を作らない、別の言葉で言い換えると、サービスを「する人」と「される人」を分けず、みんなが「つくる人」になれるようにしたいということをお伝えしています。現代では、サービスをお金で買うことに多くの人が慣れ過ぎてしまっていることもあり、熱意のある人たちのボランティアの取り組みであっても、「もっと○○するべきだ」と「サービスへの不満」として声が寄せられることがあります。そのような関係性ばかりではまちの中に分断が生まれてしまいますし、さらには自分の住む、あるいは働く・学ぶまちをよりよくすることも他人任せになっていってしまいます。そういった視点から、一人ひとりがその場所を一緒につくる当事者になれるように、例えば準備や片付けをお願いしたり、自分の子どもだけでなく、他の子どもの安全も一緒に見守ってもらったりするようにお願いするなど、意識的に参加者とともに活動をつくることを勧めています。
また、地域の中の身近な場所を使うという点で、どこでも運動場を開きたい人たちには、地域や公共の仕組みを丁寧に伝えるとともに、関係者とつなぐことも大切にしています。特に若い世代の人たちには、地域や公共がどうやって回っているのか、誰が回しているのかがなかなか分からないものです。例えば、地域には町会や自治会があって、役員の方たちが中心になって、住民の生活が安全に円滑に回るように動いてくださっています。また、身近な公共施設にも管理をしている行政の部署があります。どこでも運動場はまだまだ新しい仕組みなので、関係者の方々にも認識・理解していただくことが大事なプロセスになっています。一方で、そうした方々にどこでも運動場を通して出会ったことがきっかけとなって、他の取り組みへとつながることもあります。
あとは、無理をしないということですね。せっかくの機会だから色々なことを盛り込もうとしてしまいがちですが、頑張りすぎると大変さが先に立って「次もまたやろう」という気持ちになりにくくなってしまいます。小さい規模でもいいので、できるだけ回数を重ねるほうが、「思わず身体を動かしたくなるまち」や、ご近所の顔見知りが増える近道になるのではないかと考えています。

− 今後のプロジェクトの展望を教えてください。

嶋村
今年度で5年目となり、着実に実施の回数は増えていますが、もっと多くの場所で実施されるようになってほしいですね。また、大きな規模でなくていいので、日常に溶け込むぐらい定期的に実施する人が増えていってほしいと思っています。気軽なご近所活動レベルというか。どこでも運動場があるから、みんなが集まって体動かしたり、おしゃべりをしたりすることができるという風に、渋谷区全体でまちの空気が変わっていくといいなと思います。
そのためには、地域の人がもっと気軽に使うことのできる場所がまちの中に必要ですね。今も渋谷区内に残っている遊戯道路を「どこでも運動場スポット」として指定するなど、常設の場所が可視化されるようになると、もっと楽しいことが生まれそうな気がします。また、道路等公共空間を使用するための手続きが簡素化されるような仕組みができれば、定期的に実施する活動が広がるのではないかと思います。イギリスでは、すでに全国で70を超える自治体が、プレイストリートを支援するため、週1回3時間までの道路封鎖の手続きを年1回でも大丈夫にするという運用を始めています。渋谷区が全国に先駆けてそのような仕組みを創り、市民が自ら自分たちのまちを面白くしていくという活動を支える最先端の場所になっていったらよいですね。
日本では制度を創ったり、変えていったりしていくことはそう簡単ではないかもしれませんが、渋谷区と連携して、さらにプロジェクトの充実を図っていきたいと思います。


嶋村 仁志
一般社団法人TOKYO PLAY代表
1995年、英国Leeds Metropolitan 大学ヘルス&ソーシャルケア学部プレイワーク学科高等教育課程修了。1996年より、羽根木プレーパーク、川崎市子ども夢パークなど、冒険遊び場のプレーリーダー(プレイワーカー)を歴任し、国内外で冒険遊び場の立ち上げや子どもの遊びに関わる人の研修や啓発に携わる。
2005~2011年には、IPA(International Play Association ・遊ぶ権利のための国際協会)東アジア副代表を務め、海外とのネットワークも広い。2010年、TOKYO PLAY設立時より代表に就任。
その他、国内外のシンポジウム、講演会への登壇、研修講師など幅広くプレイワークの普及に従事。一般社団法人日本プレイワーク協会代表、NPO法人日本冒険遊び場づくり協会理事、IPA日本支部運営委員、大妻女子大学非常勤講師。一男一女の父。

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